福江港に初めて着いて港周辺を見まわしたときに必ず目に留まるものがある。そうアレだ。アレは一体何なんだ、気になるのである。アレを探ってみたのでどうぞ。
アレの正体は江戸時代にさかのぼる
福江港で必ず目に留まると書いたが、椎名誠もエッセイで次のように書いている。
「福江港にいくと堤防の先にひときわ目立つ石造りの小さな城壁のようなものがある。灯台だか神社だかよくわからないが、ひと目でなにかそこそこの由緒とか歴史といったものを感じさせるシロモノである。」(『にっぽん・海風魚旅 怪し火さすらい編』椎名誠著より引用)
ここに書かれてあるようにまさに目立つのである。それはアレのあるところだけが雰囲気が一変した部分だからでもあると思う。
よく見ると遠回りをすればアレのところには地続きになっているのがわかる。少し遠回りだが、歩いて行ってみた。
先にアレの正体を明かすと、五島藩主五島盛成が弘化3年(1846)に福江城を築くのに大波を防ぎ工事をしやすくするために防波堤の代わりに築いたもの。灯台の役割も果たしていて現在残っているのがその部分になる。
なんとアレは、江戸時代に作られた灯台だったのだ。福江港の中でこの部分だけが時代背景が異なる雰囲気を醸し出していた理由はこれだった。名称は常灯鼻と呼ぶ。名前に鼻とついているのが、横浜の防波堤にも「象の鼻」と呼ばれるのがあるのを思い出させる。なぜだか鼻つながりなのが興味深い。
常灯鼻に続く防波堤はいまはコンクリートになっているが元は江戸時代に構築された石造りの防波堤だったところ。
常灯鼻は金毘羅神社の祠が祀られている
常灯鼻は、石垣でできた上に建っている。時代とともに手入れはされているのだろうが野面積みで積み重なった石垣は江戸時代に構築されたものだと思うと時代の重さを感じさせる。
正面には、鳥居が建てられている。鳥居があるので椎名誠が書くように「神社のような」と見えるのだ。鳥居には「金毘羅宮」の文字があり、金毘羅神社の祠を祀っている。
常灯鼻の灯台となっていた部分。昔はこの高さでも十分に灯台としての役目を果たしたのであろう。
祠を祀ってあると書いたが、どうも御神体は別のところにあるらしい。
福江港に来たらきっと気になるアレとは、常灯鼻だった。時間があれば近くに行って見学してみることをおすすめする。行けば五島の歴史をひとつ実感できるはずだ。