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五島列島福江島にある江戸時代最後に築城された福江城(石田城)

福江島

五島列島にある城跡では福江城が有名。福江城の蹴出門は通りに面してあり、福江のシンボル的な存在にもなっている。地元では、石田城とも呼ばれている。江戸時代最後に建てられた城としても知られている。

福江城の本丸跡には高校がある

福江城は1863年(文久三年)に築城。幕末で最後に建てられた城。外国からの国土防衛という目的で築城が許可された。当時は城壁の三方が海に面している海城だった。しかし、明治5年に解体されてしまう。完成からわずか9年しかなかったことになる。

城跡を訪れるときには本丸跡地に行きたいと思うものだが、現在福江城の本丸跡地には高校がある。学校の門までは一般には見学ができるが、学校内には無断では入れない状態になっている。

本丸跡につながる石垣。この辺りの石垣は亀甲積で積まれている。

本丸跡地になる県立五島高校の正門。

本丸は外国船からの砲撃を避けるために低層の造りになっていた。当時は海に三方を囲まれていて立地だったので、船からの砲撃を最も恐れていたのだと思われる。

福江城の蹴出門。通りに面していて現在では福江城の顔とも言える門。五島高校生の通学路にもなっていて朝夕はこの門を多くの生徒たちが行き交う姿が見られる。

蹴出門周りには堀が残っている。魚なども泳いでいて藻の清掃なども時折行われている。

蹴出門並びの石垣。土塀が築かれている。この部分は当時のものではないだろう。

土塀には鉄砲狭間が設けられている。しかし、福江城が実戦で使われることはなかった。

場所は変わって、大手門。奥に見える建物は以前は旅館として建てられた建物で現在は図書館になっている。

外堀側から大手門あたりを眺める。現在は左に歴史資料館、右に図書館が建っている。

外堀周辺の様子。