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五島列島 福江島のクジラ 捕鯨の跡地を訪ねて

福江島

五島列島の歴史を振り返る時に切り離せないのがクジラの話しだ。かつて捕鯨で潤った五島列島には、各地にクジラに関する跡が残っている。ここでは福江島でのクジラの跡地を訪ねてみた。

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黒瀬漁港に残る鯨鯢碑

五島列島には捕鯨基地となった場所がいくつかあるが、福江島では富江の黒瀬漁港が捕鯨基地のひとつとなっていた。そのため黒瀬漁港には捕鯨に関する碑などが現存している。

富江の黒瀬漁港には、かつて鯨組があった。鯨組とは捕鯨を営む人たちを組織化したもので捕鯨基地のある五島の各地にあった。この黒瀬漁港には、いまでも鯨鯢(げいげい)碑などクジラを供養した跡地が点在している。

黒江漁港にある富江の捕鯨に関する解説プレート。これによれば、「鯨鯢の碑」が黒瀬地区には設置されているとのこと。また富江小島のクジラの解体跡地には石碑がある。

近年では、日本水産が昭和31年に日本水産富江捕鯨基地を開業。初めの数年は捕獲数がよかったがその後はクジラの数が激減して昭和40年には操業を打ち切っている。

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荒川にあるクジラの顎の骨

上五島の有川にはクジラの骨をアーチにした鳥居がある有川海童神社がある。福江島にも同じようにクジラの骨のアーチがある。ちなみに上五島のクジラの跡地に関しては、「上五島とクジラ」の記事を参照に。

荒川にあるクジラの顎の骨のアーチ。これはナガスクジラの下の顎の骨だそうだ。上五島の有川海童神社のアーチと同じように上向きに刺す形で設置されている。

荒川での捕鯨に関する解説プレート。昭和30年に大洋漁業が捕鯨基地をここで操業。しかしわずか5年で終止符を打っている。近年の捕鯨の期間は振り返ってみると短い期間しか行われていなかった。この大洋漁業の捕鯨の好況が黒瀬漁港での捕鯨基地の誘致にもつながっている。

この解説によると、当時は荒川温泉とクジラ見学を兼ねた観光客でにぎわっていたそうだ。いまではその名残りは微塵も感じないが当時の活況ぶりを写真などあれば見てみたい。

このクジラの骨のアーチは、駐車場裏にこのような状態になっている。この写真を撮ったときには草木に隠れてしまって見つけにくい状況だった。

2019年に日本は商業捕鯨を再開する。五島での捕鯨の歴史を見てもわかるように我が国の捕鯨は食文化のひとつ。鯨肉が安定して安価で流通されるようになると捕鯨に関する世間の興味が深まるかもしれない。そのときには五島列島における捕鯨の歴史についても知られるようになるかも。計画的に行われる商業捕鯨が長く行われていくことを期待したい。