五島列島福江島にある勘次ヶ城と書くとどこかの藩の城郭かと思ってしまうが、江戸末期に大工だった男が住んでいたと言われる場所の石塁のことを指す。摩訶不思議な言い伝えの伝説が残る海岸沿いのサイクリングコースにある五島の史跡を紹介しよう。
大工の勘次が住んでいたので勘次ヶ城
江戸末期に大工だった勘次という男がこの石塁のある場所に住んでいて、「ここは河童と一緒に作った石塁だ」語っていたと言い伝えられているとか。その話が定かかどうかは置いておき、しっかりとした石塁がいまでも残っている。
このあたりは山崎地区と言うため、山崎石塁という名称でも呼ばれている。
大きな石が積まれた石塁。かなり大きな建物があった跡であることはこの石塁からわかる。
もともとは倭寇が中国との貿易などを行うときに使われた施設があり、その土台の石塁ではないかという説もある。
このあたりの海岸は八幡瀬(ばばんぜ)と呼ばれ暗礁になっている。勘次の父かここで遭難した船から金品を奪おうとしたところ幽霊があらわれて「毎日祭祀してくだされ」と言われ、父は祭祀を欠かさなかった。しかし、父を継いだ勘次は祭祀をしなかったために祟られて人目を避けるようにこの石塁跡地に住んだとも言われてるとか。
大きな倭寇の像が海を見張っている。この表情を近くで見るとなかなかの迫力だ。
八幡瀬の海岸。溶岩が続いている荒々しい海岸。
縮小してつくられた勘次ヶ城の全容。かなり大きな建物だったことがわかる。実際の石塁と見比べると規模がよくわかる。