五島列島に伝わるチャンココの由来を訪ねてみた

五島列島には、チャンココと呼ばれる念仏踊りが伝わっている。チャンココは地元では銘菓の名前としても付けられていて福江島に行くと一度は耳にするかもしれない。そのチャンココの由来はどこから来たのか、その由来ともいわれている宇久島のある寺を訪ねてみた。

スポンサーリンク

宇久島の五島家菩提寺にチャンココの由来があった!?

チャンココは、初盆の墓などで先祖供養のために行われる念仏踊り。そのため実際にその舞いを目にすることができるのは、お盆の時期ということになる。布で顔を隠した男性の踊り子が腰蓑をまとい太鼓をたたきながら裸足で踊る。チャンココとはこの念仏踊りの総称のように言われるが、地域によってオネオンデ、オーモンデ、カインココなど様々な呼称で呼ばれている。

この念仏踊りの名をつけた「ちゃんここ」という銘菓が福江島で売られている。「ちゃんここ」はきな粉をまぶした餅菓子。ひと口サイズで食べられる和菓子で、五島土産の定番にもなっている銘菓。このお菓子には、チャンココの由来を書いたリーフレットが添えられている。ここに書かれている「ちゃんここ踊の由来」がとても興味深い。その内容をもとにチャンココの由来の場所を訪ねてみた。

文治3年(1187年)に平家盛が宇久島に流れ着き宇久性を名乗っていた。翌年に宇久家の菩提寺として建立された東光寺が舞台となる。上の写真が東光寺の前門の風景。

当時、寺の住職は妻帯することは禁止されていた。東光寺の住職であった順堯和尚は妻を持ったと家臣大久保氏に疑いを掛けられてしまう。順堯和尚を捉えに来たときに自ら寺の山門に火を放ち、「大久保七代殿末代」という呪いの言葉を残し和尚は火中で命を落としてしまう。

それ以後、藩主に災いが頻発し城中には怪異が起こるようになったという。順堯和尚の怒りからと感じた領主は、その怒りを治めるために「治安をよくするために治安孝行(ちあんこうこう)の舞い」を創始したのがチャンココの始まりだと書かれている。チャンココの名の由来もそういうことなのだとここまでの経緯を知ることで理解できる。チャンココの踊りは身震いしてしまうような恐ろしい由来から始まっていたのだった。

もとは一人の和尚の怒りを慰めるための念仏だったのが、現在は初盆の先祖供養の念仏踊りとして伝わっているのであろう。

ちなみにこの写真が東光寺にある家盛公以下宇久家七代の藩主の墓である。五島列島に伝わる風習のひとつが発祥した地と知るとまた歴史の奥深さもひしひしと感じられる場所とも言える。

スポンサーリンク