2019

小値賀島

五島列島小値賀島のミシュランガイド掲載の古民家レストラン 藤松

五島列島小値賀島に古民家レストラン敬承藤松がある。藤松はミシュランガイドにも掲載されたレストラン。築180年の古民家を使ったミシュランガイドにも掲載される料理を堪能しにランチコースを食べに訪れてみた。 藤松は築180年の古民家を利用したレストラン 藤松は、捕鯨や漁業などで財をなした旧藤松家の古民家を再利用したレストラン。この古民家は築180年経つと言う。このレストランは、ミシュランガイド福岡・佐賀...
小値賀島

五島列島小値賀島の小値賀空港

五島列島に定期便が就航している空港は、福江島の五島つばき空港だが五島にはもうひとつ空港がある。それが小値賀空港だ。定期便は飛んでないが現役の地方空港。小値賀空港の現在の様子を見学してきた。 小値賀空港に飛行機が飛んでくる日はいつ? 小値賀空港には以前は長崎空港と福岡空港を結び定期便が就航していた。しかし、平成18年3月いっぱいで全路線が廃止となっている。しかし、小値賀空港は現在も職員が常駐している...
福江島

五島列島福江島 三井楽教会近くにある嶽家牢屋敷跡地

五島列島にはキリシタン弾圧の跡地が教会のある場所の近くに点在する。その中のひとつが福江島にある嶽家牢屋敷跡地だ。三井楽教会近くのあまり目立たない場所にあるキリシタン弾圧跡地。三井楽教会を見学した後には併せて見ておきたい場所。 三井楽で信者を投獄した嶽家牢屋敷跡地 福江島の三井楽にある嶽家牢屋敷跡地は、明治元年に信者がいることが見つかりひとりの信者の宅地に投獄した場所だ。その跡地が保存され碑が建てら...
福江島

五島列島福江島でチリンチリンアイスを売る BABY QOO 堂崎家

五島列島福江島の堂崎教会入り口前にあるBABY QOOは名物のチリンチリンアイスを売るお店。ファッション雑誌のワンカットのような雰囲気のあるお店とアイスを売る看板娘も有名。ここのチリンチリンアイスを食べにBABY QOO行ってきた。 長崎名物チリンチリンアイスを堂崎で食べる 堂崎教会の入り口に至る一本道を歩いて行くと、左手に手書きの看板が見えてくる。そこがBABY QOOだ。ここの名物なのが長崎発...
小値賀島

五島列島小値賀島から発信する活版印刷所 晋弘舎印刷・OJIKAPPAN

五島列島小値賀島にいまでも営業している活版印刷所がある。それは晋弘舎印刷という会社。代々続けてきた活版印刷を受け継いだ娘さんが新たな活動を始め小値賀島から発信している。アナログならではの温かみのある活版印刷の魅力を尋ねてみた。 小値賀から活版印刷の魅力を全国へ 小値賀島で活版印刷を行っているのは、晋弘舎印刷。いまだに活版印刷が行われているところも少なくってきたが、この印刷所を引き継いでいるのが4代...
福江島

五島列島福江島の珊瑚で栄えた富江町

五島列島の福江島にある富江町は珊瑚で栄えた町。富江の町にはいたるところに珊瑚がモチーフになったものがある。珊瑚の資料館や珊瑚に関する碑など富江町の珊瑚について訪ねてみた。 富江町は珊瑚であふれている 明治19年に男女群島沖で珊瑚が見つかって以来、富江町では珊瑚細工で栄えてきた。現在はその珊瑚細工もかつてほどの勢いはみられないが、いまでも富江町は珊瑚を誇りとしている。 富江町のトレードマークは珊瑚の...
福江島

五島列島福江島に残る潜伏キリシタン跡地巡り

五島列島では2018年に長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産として登録された。しかし、注目を浴びるのは教会群に集中している。ここでは福江島に残る教会以外の潜伏キリシタンの跡地を訪問しまとめてみた。ダークツーリズムの一環としても注目したい遺跡群。 潜伏キリシタンとかくれキリシタンの違い 潜伏キリシタンとかくれキリシタンというワードの違いについてだけ書いておこう。潜伏もかくれも同じ意味とし...
小値賀島

五島弁で五島列島愛を歌うシンガー ベベンコビッチ

五島列島の小値賀に行くなら会っておいでと紹介されたひとがいた。そのひとの名はベベンコビッチ。外国の方?いやそうじゃないらしい。歌を歌うひとらしい、しかも五島弁で。そんな流れから興味津々でお会いしてきた。 ベベンコビッチは五島を歌い、ちゃんぽんも作る ベベンコビッチさんは、五島列島福江島の出身の方。仕事で五島列島を一度は離れたものの、五島弁を歌で表現することを新たな使命として故郷に戻ってきた。現在は...
福江島

五島列島福江島が北限の希少な植物 タヌキアヤメ

五島列島の福江島が育つ北限地という希少な植物がタヌキアヤメ。福江島でも限られた場所でしか生育が確認されていない貴重な植物を紹介しよう。 タヌキアヤメは湿地が好きな熱帯植物 タヌキアヤメは熱帯の植物で日本で生育できるのは福江島が北限地と言われている。湿地を好み、高さ1メートルほどに伸びて花を咲かせる。 タヌキアヤメが群生している湿地。それぞり群れて育っている。この場所ではタヌキアヤメを自生を保護する...
福江島

五島列島福江島にある大きなアコウの木 4選

五島列島の神社や学校には大木が植えられている。それらの木のひとつがアコウの木だ。五島列島では各所で見かけるアコウの木。ここでは福江島にある大きなアコウの木を樫之浦、玉之浦、富江小、盈進小から4本を選んで訪ねてみた。 樫之浦のアコウ 福江島にあるアコウの木のまず一本目は、樫之浦にある木。九州でも最大級とも言われている大きさを誇る。幹の太さは15メートル以上ある。 うっそうと茂っているアコウの木。一体...
福江島

五島列島福江島にある滝 ドンドン渕

五島列島福江島で有名な滝と言えばドンドン渕。ドンドン渕という一見滝を想像しにくい名称だが、れっきとした滝の名前。福江島の地元の子どもたちの夏の水遊びの場にもなっているくらい人気のあるスポット。もちろん見学するのにもおすすめの場所だ。 ドンドン渕の名の由来はドンドンと響く音 ドンドン渕の名前の由来だが、勢いよく滝から流れ落ちる水が岩にぶつかり「ドンドン」という音を立てるというところからついたそうだ。...
福江島

五島列島福江島にポッカリと穴の開いた島 ホゲ島

五島列島の福江島にはポッカリと穴が開いた島があるのをご存じだろうか。あまりにきれいな形の穴が開いているので初めて見たときには驚くほど。ホゲ島と呼ばれる穴のある島を訪ねてみた。 ホゲ島は釣りの名所でもある島 福江島にある穴の開いた島はホゲ島と呼ばれる。あまりにきれいな形で島の中央部に穴が開いている。この島は穴が開いていることでも知られているが、釣りの名所としても知られる場所。 こちらがホゲ島。向こう...
福江島

五島列島福江島に残る最古の漁法 スケ網

五島列島福江島には浅瀬を利用した原始的漁法の跡地が現存している。スケ網(あん)と呼ばれる漁法で潮の満ち引きを利用した単純な漁法。現在に残る昔ながらの漁法跡地を訪ねてみた。 スケ網は自然の摂理を利用した漁 スケ網またはスケアンと表記されるこの漁法は、潮の満ち引きを使った漁法だ。満潮のときに入ってきた魚を干潮で海水が引いたときに堤防の中に取り残された魚を取るという原始的な方法。しかし、現在でも利用でき...
福江島

五島列島福江島の鬼岳天文台

五島列島のような離島から見る星空はさぞかしきれいに見えるのだろうと期待する方も多いはず。その期待通り五島列島からは都市部からみるよりは断然きれいな星空が望める。星空をより楽しく詳細に観察するために福江島には天文台がある。だけでも気軽に利用できる鬼岳天文台を紹介しよう。 福江島シンボルの鬼岳にある天文台 鬼岳天文台はその名の通り、福江島にある鬼岳にある。鬼岳は、福江島のシンボルともなっている山。芝生...
福江島

五島列島福江島にある史跡 勘次ヶ城

五島列島福江島にある勘次ヶ城と書くとどこかの藩の城郭かと思ってしまうが、江戸末期に大工だった男が住んでいたと言われる場所の石塁のことを指す。摩訶不思議な言い伝えの伝説が残る海岸沿いのサイクリングコースにある五島の史跡を紹介しよう。 大工の勘次が住んでいたので勘次ヶ城 江戸末期に大工だった勘次という男がこの石塁のある場所に住んでいて、「ここは河童と一緒に作った石塁だ」語っていたと言い伝えられていると...
宇久島

五島列島宇久島のサイクリングに最高のシーサイドロード

五島列島宇久島にあるシーサイドロードは、長崎鼻の一角を海岸線に沿って走る道。このロードはちょうど自転車で走るのに最適。そしてなにより島の自然を感じて走ることができて最高に気持ちいい。シーサイドロードをサイクリングしてみた。 長崎鼻灯台に向かって走るシーサイドロード 宇久島の東端の一角に沿っている道がシーサイドロード。長崎鼻灯台に向かい走れる道で車道になっているがサイクリングにも最適だ。距離も数キロ...
宇久島

五島列島宇久島の2つの資料館 宇久島資料館・浜方ふれあい館

初めて訪れる地では博物館や資料館は旅人にはその地の情報を教えてくれる貴重な施設だ。五島列島の宇久島には2つの資料館がある。宇久島の規模にしたら2つも資料館があるといってもいいかもしれない。その資料館を紹介しよう。 佐世保市宇久島資料館 宇久島は佐世保市の島。その佐世保市が運営しているのが宇久島資料館だ。宇久島で発掘された歴史的資料はここで見ることができる。 宇久島資料館は宇久平港から徒歩で5分ほど...
福江島

五島列島の潜伏キリシタンが入れられた楠原牢屋跡

五島列島の潜伏キリシタンの歴史を知るときに当時信者たちが受けた迫害についても目を背けることはできない。その迫害の跡地もいくつか五島列島には残っている。そのうちのひとつである楠原牢屋跡を訪ねてみた。 楠原教会近くにある復元された牢屋跡 福江島にある楠原教会から400メートルほど離れたところに楠原牢屋跡はある。ここは、信者であった狩浦喜代助の自宅を牢として改造して使ったもの。一度は解体されているが現在...
宇久島

五島列島宇久島の平家盛上陸地 火焚崎

五島列島の名のもとになる五島家のルーツである平家盛が初めて五島に上陸した地が宇久島にある。火焚崎と呼ばれる家盛公上陸地を紹介する。 火焚崎は宇久島の西端にある 五島家のルーツは、壇ノ浦の戦いで敗れた平清盛の異母弟である家盛公が宇久島に上陸したことに始まる。後に子孫が宇久性から五島性に改名して五島家となった。五島列島の名の由来でもある。その家盛公の上陸の地が宇久島にある火焚崎(ひたきざき)と呼ばれる...
宇久島

五島列島宇久島の廃校風景

人口減少による少子化の影響は日本全国に及んでいる。それが如実にわかるのが各地の学校の廃校だ。宇久島の観光地図を見ていると、廃校になった学校名も記載されているのに気がつく。そこで地図を頼りに宇久島の廃校を訪ねてみた。 旧神浦中学校 これまで五島列島での廃校については、「五島列島五島市における廃校の再生とその後」にてまとめた。宇久島に訪問してみて新たに廃校になった学校がいくつかあったので改めて紹介して...
宇久島

五島列島宇久島のバス停には子どもたちの絵

五島列島の宇久島にあるバス停にはひとつ特色がある。それはバス停には島の子どもたちによる絵が描かれてあること。裏と表それぞれに異なる絵が描かれている。宇久島のバス停を紹介しよう。 宇久島のバス停は子供たちの絵で華やか 宇久島の島内を走る路線バスのバス停には、表と裏に島の子どもたちによる絵が描かれている。バス停の地域に合わせた絵柄や島の雰囲気をモチーフにしたものなど様々な絵がある。島めぐりに合わせてバ...
福江島

世界遺産も作った教会建築のパイオニア 鉄川与助の五島列島にある教会

五島列島にある教会群のうち代表的な教会の建築に携わったのが鉄川与助だ。鉄川与助は教会建築のパイオニアとも称された人物。世界遺産に登録された五島列島にある4教会のうち3教会は鉄川与助による建築だ。五島列島に現存する鉄川与助が建てた教会を紹介しよう。 鉄川与助のプロフィール 鉄川与助は、1879年(明治12年)長崎県南松浦郡魚目村(現在の新上五島町)の出身。父親が大工の棟梁で与助も高等小学校を卒業後に...
福江島

五島航路を結ぶフェリー 太古

博多港から福江港までの五島列島の航路を結んでいる定期フェリー太古。博多港から船で五島列島に行く場合にはこの航路で行くことになる。この航路を結ぶフェリー太古の内部を紹介する。 野母商船 フェリー太古 フェリー太古を運行しているのは野母商船。大正5年に創業された長崎市に本社のある老舗の海運会社だ。博多港から福江島までの間の寄港地は下記のようになっている。 フェリー太古(公式サイト) 博多-宇久-小値賀...
宇久島

五島列島最北端にある灯台 対馬瀬灯台

五島列島の北端の島が宇久島。その最北端にある灯台が対馬瀬灯台だ。五島列島の最北端の目印ともなっている灯台。 五島列島最北端の灯台 対馬瀬灯台は高さ12メートルの灯台。宇久島の最北端の場所にある灯台だ。。 対馬瀬灯台を上から見る。灯台が最北端部分の目印にもなっている。 灯台周辺は磯場になっていて釣りの絶好のスポットにもなっている。 緑の大地と白い灯台のコントラストが見た目にも美しい。CMなどのロケ地...
福江島

五島列島福江島にある明国人ために作った中国風井戸 六角井

五島列島福江島には、明国から来ていた貿易商のために掘らせた中国風の井戸が残っている。六角井(ろっかくいど)と呼ばれている史跡だ。 六角井は500年近く前に作られた井戸 天文9年(1540年)に東シナ海で活躍していた明国の貿易商が宇久盛定に通商を求めてきた。当時財政難だった藩は、貿易商に住居を与え飲み水や船舶用の水を得るための井戸を掘らせた。そのときの井戸が六角井だ。 六角井は、五島市の住宅街の一角...
宇久島

五島列島宇久島の厄神社にある巨石の隙間通り抜け

五島列島の宇久島にある厄神社。この神社の境内の背後には巨大な岩がそびえている。この岩を見るだけでも価値があるが、この岩にはなんとか人ひとりは通れる隙間があるらしい。パワースポットとも言われているその隙間の通り抜けを慣行してきた。 厄神社の神々しい巨石 厄神社は、鎌倉時代に疫病が流行して人々が苦しんだため山城国男山八幡宮の摂社である厄神社を分霊し遷座させた神社。疫病と漁の神として信仰され、地元はもと...
宇久島

五島列島宇久島に残るガード下にある昭和の壁画広告

五島列島の宇久島には、昭和に描かれた壁画広告がいまでも残っている。壁画広告とは、壁画に直接ペンキなどで描いた広告のこと。都市部ではもうほとんど見ることができない貴重な昭和の遺物が現存している。 昭和初期に描かれたという壁画広告は消滅寸前 宇久島の神浦地区あるガード下には、両壁に描かれた壁画広告がそのまま残っている。当時の商店や船、醤油などを絵画や文章などで描いた広告。いまではこのような昭和に作られ...